三宅島の歴史と文化

三宅島内には、縄文時代などの遺跡が点在します。このころから人が住み、三宅島の歴史が始まったといわれています。

江戸時代は幕府の直轄地となっていましたが、1869年(明治2年)に韮山県(後の静岡県)に属し、1878年(明治11年)には「太政官布告第1号」により静岡県から東京府(現東京都)に編入されました。また、1956年(昭和31年)に三宅村、阿古村、坪田村の旧3ヶ村が合併し、現在の三宅村が誕生しました。

江戸時代は流刑地だった三宅島には、約200年の間に1,000人を超える流刑者が送られてきました。歌舞伎役者の生島新五郎や禊教(みそぎきょう)教祖の井上正鉄(いのうえまなかね)、侠客者で知られた小金井小次郎、尊王思想家の竹内式部などといった歴史上の人物が含まれ、島民の生活・文化に影響を及ぼしています。なお、こういった流人にまつわる史跡などは今でも島内のいたる所に見られます。

また、島には古くからの行事も多く続いています。豊漁と海上安全を祈念する正月の「船祝い」、豊年満作を願って神輿が各地区を巡行する「富賀神社大祭」や「牛頭天王祭」などのほか、東京都無形文化財にも指定されている歌や踊り、神事があり、時代とともに形を変えつつも島の文化・伝統として守られ、継承されてきています。

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●木遣り太鼓(神着)

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●海蔵寺

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●初午(はつうま)

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●小金井小次郎井戸

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●新澪池跡
(しんみょういけあと)

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●椎取神社
(しいとりじんじゃ)

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●島役所跡

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●富賀神社
(とがじんじゃ)

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●富賀神社大祭1

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●富賀神社大祭2

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