漁師からのメッセージ

「島で漁師になる」のは簡単なことではありません。でも、三宅島漁業協同組合には厳しくも優しい先輩がいます。先輩漁師は豊富な経験と知恵を持ったつわものばかり。少し怖いですが勇気をもって飛び込んでみましょう。

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組合長

まだ見ぬ君にあてて、手紙を送る。

この島は、平成12年の雄山の噴火によって、全島民が島を後にした。俺も他の漁師とともに伊豆半島の下田に避難していた。5年後に島に戻ったけど、港も船もエビや貝を採った海もだめになっていたんだ。でも、いろいろな人たちが知恵を絞り、力を合わせ、漁業を再開することができた。お陰様で今では、普通に漁業もできるようになった。
でもまだ、戻らないものもある。それは、若い人の力。この島の漁業を担い、未来を築いていく人たち。
はっきり言って、漁業はきつい仕事だ。朝は早く、揺れる船上での作業。船酔い。港に帰っても魚を水揚げして、梱包し、明日の漁の準備・・・・やることはたくさんある。
でも、飯はうまい。そして出港の爽快感。大漁の時の喜び。仲間の笑顔。なにより自分の努力が報われる充実感。
漁業には未来がないと言う人はたくさんいる。言わせておけばいい。でも、三宅島の海は豊かだ。この海には、毎年、黒潮にのって、カツオやマグロがやってくる。島の周りにはキンメダイの漁場がたくさんある。今年は250キロのクロマグロも水揚げされた。
やる気のあるヤツにはきっとこたえてくれる。
俺たちと一緒にやってみないか。三宅島で。

三宅島漁業協同組合
代表理事組合長 関 恒美

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理事

俺の漁は、小さな船外機船での「トサカノリ漁」から始まった。22歳の時からだ。自分の船を持って早く一人前の漁師になろうと一生懸命になって技術を覚え、本格的な漁船漁業を始めた。10年前からは「浮き延縄漁」に切り替え、去年は「クロマグロ」を13本水揚げした。

「浮き延縄漁」を行う船はたいてい2人か3人乗りだけど、俺はずっと1人でこの漁をやってきた。でも今年の漁期からは、息子も乗り始めた。本人もやる気一杯だし、父親としても楽しみだ。三宅島では「浮き延縄漁」という初めての漁の先駆者として自負出来ると思っている。

今年からは1隻が、来年はもう1隻が「浮き延縄漁」を始める予定だ。3隻の仲間で「三宅島延縄船団」として、三宅島の漁業を引っ張っていきたいと思っている。でも心配もある。うちの船は親子2人で漁が出来るけど、ほかの2隻は今までの俺と同様、1人乗りだ。餌の確保・投縄・縄揚げ・魚の処理を1人でやるのはかなりきつい。それは俺の今までの経験でよく分かる。

漁は常に危険と隣り合わせだけど、特に「延縄漁」は危険が多い。一度、投縄したらどんなに時化てきても縄を回収しなければ帰港することが出来ないし、魚もデカいからだ。俺も何度か怖い思いをしている。それでもこの漁を続けていくのは、魚を船に引き揚げた時の醍醐味と魅力が大きいし、いつまでも快感が残るからだ。

関組合長のメッセージにもあるとおり、今、三宅島が一番欲しいのは若い力だ。若い衆が1人でも三宅島に来て漁業に就いて欲しい。漁の魅力を身体で知って欲しい。そして、1人乗りの延縄船の力になって欲しい。俺は、そう願っている。

三宅島漁業協同組合
理事 池田 裕次

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